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映画『ブリット=マリーの幸せなひとりだち』~人生をやり直すのに遅すぎることはない。明日への勇気をもらえる感動作

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2019年/スウェーデン/97分
2020年日本公開
原題:Britt-Marie var her
監督:ツヴァ・ノボトニー
脚本:アンダーズ・アウグスト/ツヴァ・ノボトニー
原作:フレドリック・バックマン『ブリット=マリーはここにいた』(坂本あおい訳/早川書房)
出演:ペルニラ・アウグスト/アンデシュ・モッスリング/ペーター・ハーバー/マーリン・レヴァノン

映画『ブリット=マリーの幸せなひとりだち』ストーリー(あらすじ)

夫が出張先で倒れたとの知らせに病院に駆けつけると、そこには夫の愛人が…。それをきっかけに家を飛び出したブリット=マリー(ペルニラ・アウグスト)だったが、職業安定所で紹介してもらった仕事は、小さな村のユースセンターの管理人。しかも、その採用条件は、子どもたちのサッカーチームのコーチを兼任することだった…。

映画『ブリット=マリーの幸せなひとりだち』レビュー(感想)

40年間、一生懸命に、丁寧に、主婦業に専念してきたブリット=マリー。60歳を過ぎてから家を出て、自分にできる仕事をなんとかこなしながら、慣れない生活にとまどいつつも、やがてしっかりと前を向いて、新しい人生を力強く歩いていく。そういう映画だと思うじゃないですか。いや、たしかにそのとおりでもあるんですが、その新しい仕事がサッカーのコーチですよ?「いや、ありえんし」とツッコんだものの、思わず身を乗り出していました。

職業安定所で紹介されたのが、小さな村のユースセンターの管理人で、子どもたちのサッカーチームのコーチも兼ねるという条件付き。ほんの数日前には想像もしていなかった展開に、事態を受け止めきれないブリット=マリーは「1日ずつよ、ブリット=マリー、1日ずつ」、何度も自分に言い聞かせます。

田舎のことを「文明も文化も届かない場所」と言っていたブリット=マリーの母親。亡くなってしまった姉とともに描いたパリに住むという夢。辺鄙な村で、どう取り組めばいいのかもわからない仕事を前に、途方に暮れている今の現実。家を出てから、ブリット=マリーが初めて泣くシーンには胸を突かれます。

ブリット=マリーは夫に言います。「うそでもいいから気遣ってほしかった」「一度でいいから私がしたことに気づいてほしかった」「それだけが望みだったのに」「あんな生活はもういやなの」

妻の献身に感謝しないどころか、見てもいないし、気づいてもいない夫。愛人がいたこともさることながら、ブリット=マリーが直面していたのは、古くて新しい夫婦間の問題でもありました。

満足できない現実とどう折り合いをつけるか。これはブリット=マリーの場合にかぎらず、多くの人が抱えている問題でもあるでしょう。

筋運びにはいろいろと粗いところもあるけれど、この映画はそういう普遍的な悩みとどう向き合うのかを問いかけてくる作品でもありました。とどまるか、飛び出すか、あるいは…。

このままじゃいけないと、心の底では思っていたとしても、夫の愛人登場!とか、ブリット=マリーのように重めのパンチを浴びないと、今の自分の生活を見直そう、変えようとは、なかなかならないですよね。かといって、重いパンチは浴びたくないし…。さて、どうしましょう…。そうだ、今日はもう寝てしまおう!

☟映画『ブリット=マリーの幸せなひとりだち』予告編

シネマトゥデイより

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