「デスペラード」。言わずと知れたイーグルスの名曲です。作詞作曲はドン・ヘンリーとグレン・フライ。リンダ・ロンシュタットやカーペンターズをはじめ、ケニー・ロジャースやジョニー・キャッシュ、日本でも平井堅やSuperfly、鬼束ちひろなど、ここに書ききれないほど多くのアーティストにカバーされています。こんな曲は、そうそうあるもんじゃありません。
なぜそんなにも多くのアーティストがこの曲をカバーしているのか、それは……(ドラムロール)! この曲が本当に、ホントに、ほんと~に、いい曲だから!!!
最初に聞いたのはカーペンターズの「デスペラード」。『緑の地平線~ホライゾン』というアルバムに収録されていて、邦題は「愛は虹の色」となっていました。
原曲はイーグルスの『ならず者(Desperado)』というアルバムに収録されています。アルバムタイトルが収録曲と同じというのはよくありますね。
アルバムジャケットを見ると、メンバー全員がガンベルトを腰に巻いて拳銃をぶら下げ、カウボーイハットを被ったり、ライフルまで手にしていたりと、荒野に生きるガンマンさながら。
それもそのはず、このアルバムは、西部開拓時代を背景としたコンセプトアルバムで、曲名であり、アルバム名でもある“Desperado”の邦題が直訳も直訳の「ならず者」になっているのは、まことにもってコンセプトどおり、文句のつけようもないことなのです。
しか~し。この曲が『ならず者(Desperado)』というコンセプトアルバムの中に収まっているうちはいいのだが、この曲だけをよっこらせと取り出して、カーペンターズのアルバムの一曲として収録するとなると、「ならず者」ってどうなのよ、ほかの曲名とのバランスもあるし…ということになったんでしょうな。
そこで歌詞の一節〈It may be rainin', but there's a rainbow above you/今は雨が降っているかもしれない。でも雲の上には虹が出ているのよ〉(以下、ざっくりとした訳詞は筆者による)から「愛は虹の色」という邦題をひねり出したのでしょう。
最近は、洋楽は原題のままになっていることがほとんどでしょうが、当時(1970年代)は、邦題が付けられることが少なくなかったんですね。
それにしても、「ならず者」と「愛は虹の色」。この振り幅たるや、とても同じ曲に付けられたタイトルとは思えません。
なのに、どちらのタイトルでも成り立ってしまうところが、この曲の包容力というか、奥深さなんだと思います。
(シンプルに曲に合っているかどうかだけ考えると、「ならず者」というタイトルはちょっといかつすぎるし、「愛は虹の色」というタイトルはちょっと甘すぎるかな、と個人的には思います。)
この曲を再発見というか、あらためていい曲だなぁと思ったきっかけは、数年前に見た『イン・アメリカ』(監督:ジム・シェリダン/2003年公開)という映画でした。
劇中でサラ・ボルジャー(公開当時12歳)が歌う「デスペラード」がものすごく心に響いて、「なんだ、この曲は??? 知ってる曲だぞ。おぉデスペラードか。いい曲だとは思っていたが、こんなにも胸に迫ってくるとは!!!」となったわけです。
この曲にはおよそ似つかわしくない少女が、それも天使のような声で歌うことで、曲本来の魅力である、心の奥の奥を揺さぶられる哀切なメロディと歌詞が、かえってまっすぐに、強く深く、届いてきたのでした。
(エレファントカシマシの宮本浩次さんが、岩崎宏美さんの「ロマンス」や、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」など、いわゆる“女唄”の名曲をカバーして話題になっていましたが、宮本さんのロックな歌唱で聴いたそれらの曲は、まるで新たな命を吹き込まれたかのように原曲とはまた違った輝きを放っていて、あらためてその魅力に気づかされました。異質なものどうしが出会うとき、思わぬ化学変化が起きて、本来の魅力がよりいっそう際立つということがあるのかもしれません。)
それで、へたっぴーなギターで「デスペラード」を弾き語ることを目標に、イーグルスやカーペンターズやリンダ・ロンシュタットやらのCDを借りてきて、まずは歌詞をちゃんと覚えることから始めたわけです。
散歩をしながら、あるいはお風呂に浸かりながら、ブツブツと暗唱し、まるで受験生のような努力をして歌詞を覚えたのも、この曲がギターで弾けたらさぞかしかっこよかろうというスケベ心ゆえ。スケベ心おそるべし(スケベ心はあるが、人前で披露する予定はない)。
そしていざ、ギターで練習を始めてみて、ふと思ったのが、この曲はいったい誰が誰に語りかけているのか、ということ。
いや、歌詞を覚えている最中にもちらっと思わないでもなかったが、そのときは歌詞を頭に入れるのに一生懸命で、深く考えはしなかった。
ところがギターを弾いて歌うとなると、自分はいったい誰になったつもりで、誰に向かって歌えばええんじゃろうかと、思ってしまったわけです。
まぁ、そんなことわからなくても、歌えはしますけれども、それでは、歌心っちゅーもんが、ほれ。人前で歌う予定はないにしても、ね。
たとえば、「木綿のハンカチーフ」なら、歌詞に登場する二人は恋人どうしで、女性と男性が交互に相手に語りかけている。明快です。「ロマンス」なら、恋をしている女性がその相手に。
ん? デスペラードは誰が誰に?
〈Desperado, why don't you come to your senses?/そろそろ目を覚ましたらどうなの?〉
〈You been out ridin' fences for so long now/世を拗ねていたって仕方ないじゃない〉
〈Oh, you're a hard one I know that you got your reasons/あなたは困った人ね、あなたなりの理由があるのもわかるけれど〉
〈These things that are pleasin' you Can hurt you somehow/あなたが慰めを見出していることは、あなたのためにはならないわ〉
〈Don't you draw the queen of diamonds, boy/見た目の華やかさでダイヤのクイーンを選ばないで〉
〈She'll beat you if she's able/きっとあなたが傷つくことになる〉
〈You know the queen of hearts is always your best bet/思いやりのあるハートのクイーンが一番だってわかっているでしょう〉
〈Now it seems to me, some fine things Have been laid upon your table/いいカードだって配られているのに〉
〈But you only want the ones that you can't get/あなたはいつも手に入らないものばかり欲しがるのね〉
以上が1番の歌詞です。歌詞冒頭の〈Desperado〉は直訳すれば、イーグルスのアルバムタイトルどおり〈ならず者〉あるいは〈無法者〉ですが、形容詞のdesperateには、自暴自棄の、捨てばちな、絶望的な、などの意味があるので、ここは自棄(やけ)になっていたり、困った状況にある人物への呼びかけということで、無理に訳語を当てなくてもいいのではないでしょうか。
訳詞が全体に女言葉になってしまったのは、耳になじんだ「デスペラード」が、カーペンターズのカレン・カーペンターの歌声だったからだと思います。
この1番の歌詞からひとつはっきりすることは、語りかけられている側が男性だということですね。
〈Don't you draw the queen of diamonds, boy〉というフレーズの〈boy〉から明らかです。
そもそも、女性について歌っているのなら「Desperado(無法者)」なんていうタイトルにはしないはずですから、この点に関しては考えるまでもありません。
問題は、語りかけている側が誰か、ということですが、人生の苦渋をなめてきているようにも察せられる男性(以下、Desperadoとします)に対して、〈boy〉と呼びかけているわけですから、ある程度年上の人物ということになりそうです。
しかも、Desperadoのことを親身に心配し、諭し、〈あなたはいつも手に入らないものばかり欲しがるのね〉というフレーズからもわかりますが、ずっとDesperadoを見守ってきているようです。
この距離感、この包容力、この愛情、こりゃ血縁者ですね。年長の血縁者。でも親ではない気がします。理由は、次のように始まる2番の歌詞です。
〈Desperado, oh, you ain't gettin' no younger/いつまでも若くはないのよ〉
〈Your pain and your hunger, they're drivin' you home/傷つき、ままならないときは故郷へ帰りたくなるでしょう〉
2番は、身体を気遣ったり、荒れた生活を心配したり、やんわりと故郷を推してくる歌詞になっているのですが、親だとするとこの感じはちょっとダイレクトすぎるように思います。
むしろ、この曲全体からは、親が直接言えないことを代わりに言っているような印象を受けます。
Desperadoを心配し、Desperadoのことを思って心を痛めているであろう親をも心配しているのです。
これはDesperadoのおばさんか、おじさんじゃないですか。
曲の最後、
〈You better let somebody love you (let somebody love you)〉〈You better let somebody love you before it's too late〉
の部分は、この曲をちゃんと知らなくても、多くの人の耳に残っているであろう印象深いフレーズですが、〈早く身を固めて、お父さんお母さんを安心させてあげなさい〉と言っているようにも聞こえます。いや、まさしくそういうことですよ!(ちょっと強引ですか?)
これこそ、おばさん、おじさんの仕事でしょーに。さぁ、さらに踏み込んで、おばさん、おじさんのどっちなのか……(ドラムロール)! ずばり、おばさんです!
なぜならば、Desperadoに対する観察が細やか、遠くから見守っていたかと思えば、ぐっと踏み込む、ただ叱りつけるのではなく、相手の心情にそっと寄り添う、最後に言いたいことだけはバーンと言う、このあたりの呼吸が、男性というよりは女性、ある程度年齢を重ねた女性の、愛で包み込むような、優しくも頼もしい感じを連想させるからです。
以上のような理由から、結論としては、おばさん、次点として、ものすごく親しい年上の従姉妹(いとこ)とさせていただきます。
姉という線もなくはないでしょうが、きょうだいだとここまで優しくなれないというか、もっときつい言い方になってしまうと思うんです。
これからギターを弾くときには、Desperadoのおばさんになったつもりで練習したいと思います。
この結論って、やっぱり自分にとって「デスペラード」はカレン・カーペンターの歌声がいちばんしっくりくるからなのかもしれません。
これはあくまでも私の解釈であって、イーグルスで聞きなれている人は、「え、女の人なわけないじゃん」と思っているかも。
さまざまな聞き方ができるところも、名曲の名曲たるゆえん、多くの人に愛される理由なんでしょうね(って、けっこうな予定調和で、なんだかすみません。こうなる予感は正直ものすごくあったのですが、やっぱりこんなふうに着地してしまいました)。
サラ・ボルジャーがまるで天使のように「デスペラード」を歌った
映画『イン・アメリカ/三つの小さな願いごと』の記事はこちら
▼
-
参考映画『イン・アメリカ/三つの小さな願いごと』~家族の再生を描いた心震える珠玉の物語
続きを見る